あくびを殺す方法を、先輩に教わった
あくびを殺す方法を、俺は入店初月に教わった。 舌の先を上あごに押し付けて、口を閉じたまま鼻から息を吸う。これで八割は消える。 消えなかった二割をどうするかは、各自で工夫しろと言われた。工夫って何だよ、と思ったけど、半年もすると自分なりの方法ができてた。
客の前であくびをするのは、最大級のタブー
夜の店で、あくびは事故なの。眠いのは伝わるし、退屈だと解釈される。指名が飛ぶ理由としては十分すぎる。 だから毎晩、あくびを殺してた。殺しながら、客のあくびも見てた。 何百回も見てるうちに、あくびそのものより、はっきり情報が出るところがあると気づいた。
噛み殺したかどうかで、全部分かった
その情報は、隠したかどうか。 あくびが出そうになった時、人は一瞬で判断してる。隠すか、出すか。 隠す手間をかけたということは、相手にどう見られるかを気にしてる。手間をかけなかったということは、気にしていない。
あくびは、退屈だけの信号じゃない
眠気、退屈、それと緊張
あくびの出どころは一つじゃない。眠い時、退屈な時、そして緊張している時。 最後のやつが、たいてい抜け落ちてる。 研究の世界でも、あくびはストレス、退屈、疲労、あるいは行動の切り替わりのサインとして扱われてる。眠気だけの現象じゃないの。
試合前の選手があくびをするのは、知られている話
これ、聞いたことある人も多いと思う。競技の直前、選手がベンチであくびをしている場面。 パラシュート降下の直前にも同じことが起きるらしい。眠いわけがない状況で出る。 体が緊張状態に入る手前で、何かを切り替えるために出てる。眠気の逆側でも、あくびは発生する。
好きな人の前だから出る、という経路
ここまで来ると、話がひっくり返る。 初デート、二人きり、緊張してる。会話が途切れないように必死。そういう状態の男性が、ふっとあくびをする。 退屈だから出たとは限らないんだよ。緊張が続いた反動で出ることがある。 特に、少し場が落ち着いた瞬間に出やすい。会話が弾んだ後、料理が来て沈黙が生まれた時。張っていた糸が緩んだところで、体が処理を始める。 だから、笑わせた直後にあくびをされて凹む人がいるけど、あれは自分のせいじゃない可能性がけっこうある。
うつるかどうかのほうが、情報が多い
家族、友達、知人、他人で差が出た研究
つられあくびというやつがある。誰かがあくびをすると、こっちも出るあれ。 イタリアの研究者が出した論文で、面白い結果が報告されてる。一年かけてオフィスやレストラン、待合室で人を観察して、誰のあくびが誰にうつるかを数えたもの。 うつりやすさを決めていたのは、国籍でも性別でもなく、社会的なつながりの強さだけだった。うつりやすい順に、血縁者、友人、知人、他人。 しかも、知らない人のあくびは、うつるまでの時間も長かったらしい。関係が近いほど、速く、多くうつる。
見るべきは彼のあくびより、あなたのあくび
この結果を使うなら、判定の向きを変えたほうがいい。 彼があくびをしたかどうかは、眠気や体調や時間帯でいくらでもブレる。 でも、あなたがあくびをした時に彼がつられるかどうかは、もう少し安定した情報になる。 自分から実験する必要はないよ。ただ、そういう場面が自然に起きた時、覚えておくといい。
ただし、決定打にはしないほうがいい
正直に書いておくと、この分野には反論もある。 つられあくびを共感の証拠と呼ぶのはまだ早い、という趣旨の総説を出してる研究者もいるし、そもそも人は親しい相手の動きをよく見ているだけかもしれない、という指摘もある。他人のあくびは、単に気づいてないだけの可能性がある、と。 だから、うつったから両想い、みたいな読み方はしないほうがいい。材料が一つ増えたくらいで扱うのがちょうどいい。
情報になるあくびと、ならないあくび
深夜のあくびは、ゼロ情報
夜十一時のあくびに、意味を探しても何も出てこない。眠いだけ。 仕事終わりも同じ。残業明け、繁忙期、寝不足の月曜。この条件下のあくびは、全部ノイズ。 読めるとしたら、昼で、休日で、寝不足でもない時に出たあくびだけ。条件が絞られると、そもそも判定できる場面ってあんまり多くないの。
何回目かで、意味が変わる
一回のあくびは事故。三回続いたら、体調か、眠気か、退屈のどれか。 連続で出ているのに、会話は続いている。この状態はけっこう見る。眠いけど帰りたくない、というやつ。 逆に、一回出た直後に時計を見たり、荷物に手を伸ばしたりしたら、そこは素直に受け取ったほうがいい。
直前に何をしていたか
あくびの前の五分に、何があったか。 沈黙が続いていたなら、退屈の可能性が上がる。逆に、盛り上がった直後や、緊張する話をした直後なら、緩みで出た可能性が高い。 点だけ見ないで、その手前を思い出す。だいたいそこに答えがある。
隠したかどうかに、いちばん出る
手で隠す、顔を背ける、噛み殺す
隠し方には段階がある。 手で口を覆う。これは基本。顔ごと横に向ける。ここまでやるのは、見られたくない気持ちが強い。噛み殺して、あくびを外に出さない。これが一番手間がかかってる。 手間の量が、そのまま気にしている量だと思っていい。
堂々と出すのは、二種類ある
じゃあ隠さない人は脈なしかというと、ここが厄介なところ。 どうでもいい相手だから隠さない人と、気を許しきったから隠さない人がいて、動作としては同じなの。 分ける方法はひとつ。あくびの後に、ごめん、と言うかどうか。 何も言わずに話を続ける人は、あなたの前で無防備でいることに違和感がない。それは家族的な近さ。関係が長いなら、こっち。 出会って間もない相手が堂々と出して謝りもしないなら、残念だけど気を遣う対象になっていない。
店で聞いた本音
デート中にあくびされて、泣きそうになった
「デート中にあくびされて、あ、私つまんないんだって思って。帰りの電車で泣きそうになった」 カウンターでそう話してくれた子がいた。三回目のデートだったらしい。 それ、緊張だったかもしれないですよ、と言ったら、ぽかんとされた。そんな発想なかった、と。 その後どうなったかは聞いてない。ただ、あの日の彼女は、可能性を一つしか持ってなかった。
彼氏が隠さなくなった時
「彼氏があくび隠さなくなった時ね、あ、家族になったんだなって思った。嬉しいような、寂しいような」 これ、名言だと思ってる。 無防備さは信頼の証拠で、同時にときめきの終わりでもある。両方を一度に運んでくるから、受け取る側の気持ちが複雑になる。
噛み殺したのが見えて、嬉しかった
「担当があくび噛み殺したの、見えちゃったの。頑張ってくれてるんだなって、逆に嬉しかった」 これを聞いた時、俺は自分の仕事の意味を少し考え直した。 完璧に隠せた時じゃなくて、隠そうとしているのが見えた時に、相手は嬉しがるんだな、と。
一度だけ、客の前で出してしまった夜
三日連続で睡眠時間が三時間くらいの週があった。 指名の席で、話を聞いている途中、耐えきれずに出た。手で隠したけど、完全には隠せてなかったと思う。 血の気が引いた。すみません、と言おうとしたら、先に言われた。 寝てないでしょ、と。怒ってなかった。むしろ心配されてた。 その後、彼女は早めに帰ってくれた。俺を休ませるために。 (うわ、負けた) そう思った。隠すのが仕事だと信じてたけど、隠しきれなかったものを見られて、関係が悪くなるどころか一段深くなった夜だった。あの一回だけは、失敗が得点になってたんだよね。

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