ホストになる前の年の冬。三年付き合った人に、駅のホームでふられた。
最後の言葉は、もう無理かも。その、かもに、僕はそれから三ヶ月しがみつく。正確に言えば、そのあとも心の隅っこで、何年も。
その夜の話をすると、午前3時に長文を送りつけた。既読がつかないまま30分。焦って送信取消。言い方を変えて、また送る。また取り消す。朝までに7回。
(向こうの画面、取り消しました…ホラーすぎ)
結局、返事は来なかった。
それからの三ヶ月は、トーク履歴をさかのぼる夜の連続。一番上まで行って、また下まで読み直す。洗面所には、彼女の歯ブラシが半年残ってた。
執着を手放したい。連絡しないって決めた。その二つを並べて検索する夜は、指と気持ちが別々の方向を向いてる。楽になりたいのは本当なのに、心のどこかで、まだ彼からの一通を待ってたりする。
それ、矛盾してていいんだよ。僕なんて、一晩で7回矛盾したし。
執着の正体は、愛情じゃなく仕組みだった
ホストの世界に入って半年で、気づいたことがある。執着って、偶然できるものじゃない。作れるんだよね。しかも、わりと簡単に。
たまにしか当たらないガチャほど、回したくなる
毎日マメに連絡するより、三日に一回だけ妙に優しいほうが、指名は長続きする。ホストを始めたばかりの頃、店の上の人間にそう叩き込まれた。半信半疑で試したら本当にそうなって、ちょっと引いた。
人は、確実にもらえる優しさより、もらえるかわからない優しさに弱い。ガチャと一緒で、たまに当たりが出るから、回す手が止まらなくなる。
約束をあいまいにしておくのも、同じ手口。近いうちにね、そのうちね。日付のない言葉ほど、人はそこに希望を詰め込む。あの冬の僕が、かもから一歩も動けなかったのも、たぶんこれ。
元彼から忘れたころに届く、元気っていう一言。夜中にだけ来る、ちょっと会いたいかも。あれがいちばん厄介。一回の当たりで、三週間分の我慢が振り出しに戻っちゃう。
向こうがわざとやってるとは限らない。ただ、仕組みだけ見れば、ホストが給料をもらってやってたことと同じなんだよなー。
注いだ時間が長いほど、手を離すのが怖くなる
仕組みはほかにもある。こっちはもっと地味。
店でも、通った年数が長いお客さんほど、楽しくなさそうな顔で来てた。ここでやめたら、今までが全部ムダになる。そう書いてある顔。
五年通ってくれてた子が、ある晩つぶやいた。
「ここまで来たら、元取るまでやめられないじゃん」
笑いながら言ってたけど、声だけが妙に平らだった。元なんて、どこにもないのに。
恋愛も似てる。長く付き合った、あれだけ尽くした、その重みが終わりを認めさせてくれない。好きの大きさと離れにくさは、同じ目盛りじゃないのさ。
好きなのか執着なのか、見分けたくなる夜もある。目安になるのは、彼が誰かと笑い合ってる姿を想像したときの気持ち。寂しいけど、よかったねと思えるなら、好きの成分が多め。許せない、隣にいるのは自分じゃなきゃ嫌だ、が先に立つなら、執着のほうが濃い。
執着が強いのは、愛が深い証拠じゃない。これを知ってるだけで、自分を責める夜はひとつ減る。
連絡しないのは、彼を動かす作戦じゃない
連絡を断つやり方自体は、間違ってない。問題は、何のためにやるか。
冷却期間って言葉を使った瞬間、また日数を数え始める
ネットには、冷却期間って言葉があふれてる。1ヶ月あければ男は追いかけたくなる、みたいな話。すがりたくなる気持ちは、痛いほどわかる。
ところが、それを狙ったとたん、スマホを見る回数はむしろ増えちゃう。今日で何日目。まだ来ない。もうすぐ来る?カレンダーが、彼の返事を待つための帳簿になっていく。
連絡はしてないのに、頭の中はずっと彼と通話中。それって、手放したんじゃなくて、握る場所を変えただけじゃん。
執着を手放したら連絡が来た、って話は、店でもときどき耳にした。嘘じゃないはず。待ってるうちは、なぜか来ない。
元彼が本当に戻ってきた子もいる。その子の感想が、妙に忘れられない。
「来たら来たで、あれ、こんなもんだっけって」
届いたころには、本人の気持ちがもう別の場所にある。そんな肩すかしみたいな結末は、一回や二回じゃなかった。
返さない側は、待ってる側が思うほど考えてない
これは、返さない側に何年もいた人間としての話。
通うのをやめた子のLINEが、ある日止まる。正直に言うと、最初の数日は気づかない日もあった。三日くらいして、そういえば最近来てないなって思い出す。せいぜいその程度。
気づいたあとに、少し惜しくなることはある。あれ、もう来ないのかなって。ただ、その惜しさがこっちから連絡する行動につながるかは、まったく別の話だった。
残酷でごめん。でも、ここに救いがある。
送るか迷ってる一時間、相手はたぶんテレビを見てる。沈黙は、彼に何かを伝える武器にはなりにくい。そのかわり、まるごと自分のために使える時間になる。湯船にお湯をためるでも、友達に電話するでもいい。
連絡しない期間に、心の中で起きること
日にちの感覚は、僕の体感と、店で見てきた子たちの話がベース。
最初の3日は、指が勝手にトーク画面を開く
抜いた歯の穴を、舌がつい確かめにいく感じ。親知らずを抜いたとき、僕は三日くらい舌で穴を触ってた。あれ、なんで何度も触りたくなるんだろう。答えは今も知らない(笑)
連絡を断った直後は、それと同じ。用もないのにトーク画面を開いて、最後のやりとりを読み返して、閉じる。そりゃ開くっしょ、あれだけ話した相手なんだから。
寝る前と、起きてすぐの布団の中。あそこが魔の時間帯。スマホがブルッと震えるたびに、心臓が跳ねる。開いたら、ドラッグストアのクーポン。そう言って笑ってた子もいた。
この時期は、送らなかった自分をほめるだけで満点。開いちゃっても、送ってなければセーフ!
2週間目あたりで、会いたさがぶり返す
意外と油断できないのが、ここ。少し平気になってきたころに、会いたさが突然ふくらむ。
治りかけの傷ほどかゆくなるのと、たぶん同じ。このかゆみは、後戻りのサインじゃない。治ってる途中の合図。
ぶり返しには、引き金になりやすい場面がある。記念日、彼の誕生日、二人でよく通った店の前。あと、なぜか雨の日曜の夕方。予定のない休日の夕方って、人を妙に弱くするんだよね。
そのうえ、こういうタイミングに限って、向こうから一通届いたりする。当たりの効き目が最大になる時期に、狙ったみたいに。
ある朝、彼を思い出さないまま歯を磨いてた
営業が終わる少し前、常連の子がこんな話をしてくれた。
「朝、歯磨きしてて、あれ、今日まだ彼のこと考えてないって気づいたの。そしたら、なんか泣けてきちゃって」
寂しいのか、嬉しいのか、本人にもわからない涙。手放せる瞬間って、たぶんこういう顔でやってくる。ファンファーレは鳴らないし、誰も拍手しない。
早い子で1ヶ月。半年以上かかった子もいる。長さを比べて、落ち込まなくていい。
ホストクラブで聞いた、手放そうともがく女性たちの本音
店には、誰かを忘れるために来る子がけっこういた。新しい誰かで上書きしたくて。まぁ、上書きなんて、できないんだけどさ。
ブロックと解除を、毎晩くり返してた子
「ブロックして、解除して、またブロック。もう指の筋トレだよね」
横で盛り上げ役をしてた後輩が吹き出して、本人もつられて笑った。
でもあれ、笑い話で終わらない。ブロックって、実は相手を強烈に意識してる行為でもある。解除するか毎晩迷ってる時点で、彼は画面のど真ん中に居座ってるんだから。
ブロックが重たいなら、ミュートで十分。見えない場所に置くだけで、指はだいぶ休まる。
スマホを家に置いてきた、と胸を張った子
「今日はスマホ、家に置いてきた。だから今夜の私は無敵!」
乾杯の前に、そう宣言した子がいた。
最初は冗談だと思った。よく考えたら、あれは理にかなってる。意志の力で画面を開かないより、手の届く場所に画面がないほうが、ずっと楽。
スマホのない彼女は、よく笑って、よく食べた。帰り際には、連絡しないのって我慢じゃなくて、距離の問題なのかもね、なんて言ってた。
忘れたら、あの二年がなかったことになりそうで
別の夜、僕を指名してた子の一言は、今も覚えてる。
「忘れたら、あの二年、全部なかったことになる気がするの」
グラスを持つ手が止まって、喉の奥が熱くなった。
執着の底には、たまにこういう怖さが沈んでる。彼に戻ってきてほしい、とはちょっと違う。あの時間に意味があったって、誰かに保証してほしい。そっちのほうが近いのかも。
僕はあの時、うまく返せなかった。今なら言える。二年は、忘れても消えないよ。好きになった音楽とか、歩くときの癖とか、もう体のあちこちに混ざってるから。
連絡したくなった夜の、指の置き場所
会いたさが暴れる夜は、気合いじゃどうにもならない。だから手順で逃がす。
深夜の長文は、朝の自分に読ませてから
深夜2時すぎに届くLINEは、だいたい翌日に本人が後悔する種類のやつだった。店にいた頃、何百通も受け取ってきたからわかる。夜中の文章って、朝読むと他人が書いたみたいに見えるし。
送りたい衝動が来たら、LINEじゃなくスマホのメモに書く。宛先のない場所に全部吐き出して、送るかどうかは朝の自分に任せる。
朝になっても送りたいなら、それはそれでひとつの答え。たいていの文章は、メモの中で役目を終えてるけど。
指が寂しい夜は、指に別の仕事をあげる
連絡したくなったら爪を塗る、と決めてる子がいた。乾くまでの20分は、スマホに触れないから。
なるほどって、声が出た。気持ちを止めるのは難しいけど、指を止めるのは案外できる。
ハンドクリームを塗る。玉ねぎを刻む。洗濯物をたたむ。両手がふさがってるうちに、会いたさの波はたいてい一回引いていく。
彼のSNSをのぞくのは、かさぶたを剥がすのと同じ
(見るだけ、見るだけ…)
そう言い聞かせて、ストーリーを開く。足跡がつくのが怖くて、見るためだけに別アカウントを作る。これ、僕もやった(泣)
楽しそうな写真なら落ち込むし、つまらなそうなら少し安心して、そのあと自己嫌悪。どっちに転んでも、傷口がまた開く。
見ない日が続けば、かさぶたは少しずつ厚くなる。かゆくても触らない。アプリをホーム画面の奥のフォルダに移すだけでもいい。指が迷子になって、のぞく回数は目に見えて減るよ。
共通の友達に、彼の近況を聞くのも同じ。聞いた瞬間は満たされるのに、帰り道でかならず後悔する。
写真やプレゼントも、同じ考え方でいい。捨てるか残すかで何日も悩むなら、紙袋にまとめて、クローゼットの上の棚へ。視界から外すだけで、傷に触る回数は減る。
向こうから連絡が来たら、ひと晩寝かせる
元気って一通が届いた夜。手が震えて当然。ガチャで当たりが出た瞬間だから、すぐ回したくなる。
返すなら、その夜じゃなくて、次の日の昼。時間を置くと、その一通の中身が見えてくる。寂しさの穴埋めなのか、真面目に話したいのか。
返さないのも、立派な返事。どっちを選んでも、自分で選んだなら、それは後退じゃない。
執着を手放すのは、忘れることじゃない
7回の送信取消が、何年もたってから片づいた話。
執着を売ってた僕が、やっと降りられた夜
ホストになって二年目。毎日LINEをくれるお客さんがいた。未読のままだと、一回取り消して、文面を少しいじって送り直してくる子。
彼女の文面は、いつも最初が長くて、取り消されるたびに短くなった。最後に残るのは、おつかれさま、の一言だけ。僕はそれに、当たり障りのないスタンプで返してた。
ある日、トーク画面に取り消しの表示が三つ並んでて、背筋が冷えた。
(待って、これ、あの夜の僕…?)
まさか、昔の自分と、仕事用のスマホの中で再会するとは。営業としては、ありがたいお客さん。止めるべきだったのに、止めなかった。売り上げだったから。ダサいよね、ほんと。
彼女の足が店から遠のいたのは、それから半年後。僕が気づいたのは、一週間たってからだった。
その夜、あの冬の人のことを考えた。7回送り直してた僕の画面の向こう側。あの人もきっと、こんな感じだったんだろうなって。
悔しさより先に、胸の奥で何かがストンと落ちた。かも、にしがみついてた指の最後の一本が、そこでやっと離れた気がする。
それから、たまにだけ優しくするやり方を、徐々にやめた。売り上げは見事に落ちた(笑)あの子への申し訳なさは、今もちょっと残ってる。

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