閉店後のロッカー。先輩の鍵には、色のはげた小さなキーホルダーがぶら下がってた。
イルカの形。どう見ても、三十手前の男が持つものじゃない。
「それ、なんすか」
「昔の女とおそろい」
先輩は、それ以上は言わなかった。別れて、もう五年たつらしい。
(五年…オリンピックが一回終わってる)
駅までの帰り道、先輩がぽつりと言った。
「向こうも、どっかでまだ持ってたりしてな」
笑ってたけど、その声だけ、店では聞いたことのない高さだった。
忘れられない人は、相手も同じ?覚えてる可能性は高い
本気で向き合った相手を、人はそう簡単に忘れない
本気でぶつかった相手は、記憶のいちばん深いところに残る。一緒に笑った日も、泣かせた夜も、ケンカの理由も。
とくに男は、別れた相手のことを、意外なほど覚えてる。男は名前をつけて保存、なんて言葉があるけど、店で見てきた限り、あれはかなり当たってる!
店の男たちに、いちばん忘れられない女は?と聞くと、ほぼ全員が即答した。迷う男は一人もいなかったし、名前まですらすら出てくる。
付き合ってた相手なら、なおさら。こっちが忘れられないくらい本気だった時間は、向こうにとっても、それなりの重さがあったはず。
途中で終わった恋ほど、お互いの中に残る
途中で終わったことほど、記憶に残りやすい。心理学では、ツァイガルニク効果なんて名前がついてるらしい。
話し合えないまま終わった。タイミングが悪かっただけで、嫌いになって別れたわけじゃない。こういう恋は、お互いの中で、読みかけの本みたいに開いたまま残る。
最終回を見てないドラマって、いつまでも気になるでしょ。あれと同じ。
逆に、言いたいことを全部言って、泣いて、きちんと終わった恋は、意外とあっさり思い出になる。忘れられないかどうかは、恋の大きさより、終わり方で決まることが多い。
ただし、覚えてることと、戻りたいことは別
ここが、いちばん大事なところ。
相手も覚えてる。ときどき、思い出してもいる。でも、それが戻りたいって意味かどうかは、また別の話。
男の忘れられないは、たいてい、思い出の引き出しにしまわれてる。ときどき開けて、懐かしんで、また閉める。その引き出しから、実際に出てくるかどうか。そこには、かなりの距離がある。
店でも、元カノの話をする男はたくさんいた。でも、その元カノに実際に連絡した男は、ほとんどいなかった。話すのと動くのは、使う筋肉が違う。
相手も同じだと知ったところで、明日が変わるとは限らない。それでも知りたいのは、自分の気持ちに、居場所がほしいから。
男が忘れられない女性の特徴
店で、男たちの昔の女の話を、何百回と聞いた。忘れられない女性には、だいたい共通点があった。
いちばん素の自分でいられた人
男が忘れられないのは、かわいかった人より、素の自分でいられた人。
かっこつけなくてよかった。弱音を吐いても、笑わなかった。売れない時期も、隣にいてくれた。
イルカの先輩の彼女も、まさにそれ。売れない新人時代、家賃を半分出してくれてたらしい。
裏を返すと、男が忘れられないのは、自分がいちばん弱かった時期を知ってる人。その人の前でだけは、何者でもなくてよかった。
ちゃんと終われなかった人
きれいに別れた相手より、終わり方が中途半端だった相手のほうが、ずっと残る。
言えなかったごめん。言わなかったありがとう。最後のケンカのまま、連絡が途切れた。別れ際に、ひどいことを言ってしまった。その後悔は、何年も名前とセットで残る。
男は、謝りそびれた相手のことを、いつまでも頭の片隅で気にしてる。男の忘れられないの中身は、未練より、やり残した宿題に近いことも多い。
匂いや曲と、セットになってる人
香水の匂い。よく一緒に聴いてた曲。二人で通ったラーメン屋の湯気。
五感と結びついた記憶は、ふいに戻ってくる。街ですれ違った誰かの香りで、急に昔の部屋へ連れ戻される。
季節も強い。付き合い始めが冬なら、毎年、冬の匂いがするたびに思い出す。男の忘れられないは、カレンダーと連動してることが多い。
店でも、昔の彼女と同じ香水をつけたお客さんが来ると、目が泳ぐホストがいた。本人は隠してるつもりでも、まるわかり(笑)
相手も忘れられずにいるかもしれないサイン
相手も忘れられずにいるとき、男の行動には小さな跡が残る。ただし、ここに挙げるのは、覚えてるサイン。戻りたいサインとは、まだ限らない。
忘れた頃に、元気?が届く
半年、一年たって、ふいに届く、元気?の一言。誕生日や、年末年始に多い。
送ってきたなら、思い出してたのはたしか。ただ、届いた時間を見てほしい。深夜一時なら、酔ってたか、寂しかったかの可能性が高い。
男が昔の女に連絡するのは、たいてい自分が弱ってる夜。そこは、覚えておいていい。
誕生日のおめでとうを、毎年欠かさず送ってくるなら、少なくとも、カレンダーにはまだ名前が残ってる。
共通の知り合いに、こっそり近況を聞いてる
共通の友達から、あの人があなたのこと聞いてたよ、と伝わってくる。これも、覚えてるサイン。
直接は聞けない。でも、知りたい。男はその間を取って、友達経由でさりげなく探りを入れる。
ただ、聞くだけ聞いて、何もしてこない男も多い。元気でいてくれたら、それでいい。そういう覚え方もある。
こっちから友達に向こうの様子を聞き返すのは、ほどほどに。聞くたびに、引き出しを開けるのはこっちのほうになるから。
渡したものを、まだ手放してない
プレゼントした財布を、まだ使ってる。一緒に撮った写真を、SNSから消してない。ストーリーの足跡が、ずっとついてる。
捨てられないのは、思い出として大事にしてる証拠。ただ、男は物を捨てるのが下手、ってだけのことも多い。正直、先輩のイルカも、半分はそっちだと思う(笑)
反対に、全部きれいに処分されてたとしても、忘れたとは限らない。思い出すのがつらいから、目に入らないようにしただけ、って男もいる。
思い出と未練の境目は、相手が動くかどうか
思い出してるだけの男は、夜中にしか連絡してこない
深夜の、元気?最近どうしてる?その先が、続かない。会おうとも言わない。翌朝になると、何事もなかったように静かになる。
いちばん多いのは、元気?のあとに、俺は最近仕事がさ、と自分の話を始めるパターン。聞いてほしいのは、こっちの近況じゃなく、自分の寂しさ。
これは、思い出の引き出しを、夜中にちょっと開けただけ。懐かしさで指が動いた。それ以上でも、以下でもない。
まぁ、酔った勢いの元気?ほど、翌朝の本人が覚えてないものはない。期待して長い返事を書くと、引き出しが閉まる音を聞くことになる。
戻りたい男は、昼間に、日付と場所を出してくる
本気でやり直したい男は、昼間に連絡してくる。酔ってない頭で。
しかも、具体的。来週の土曜、空いてる?あの店で、ちゃんと話したい。日付と場所が出てきて、そこで初めて本気!
それに、本気の男は、別れた理由に触れてくる。あのときはごめん、俺も変わった。そこを避けて、楽しかった頃の話ばかりするなら、まだ懐かしさの域を出てない。
相手も同じ気持ちかどうかは、この違いでしかわからない。夜中の懐かしさか、昼間の約束か。
待っている時間は、相手の気持ちを確かめてくれない
相手も同じかもしれない。そう思って待ってる時間は、こっちの気持ちを長持ちさせるだけで、相手の気持ちは何も確かめてくれない。
一年待って、何も来なかった。残念だけど、それもひとつの答え。
待ってる間の自分は、あの頃のまま止まってる。相手が戻ってくるとしても、止まったままの自分より、進んだ自分で迎えたほうがいい。
待つ代わりに、自分の時間を進めていい。相手が本気なら、こっちが前に進んでても、向こうから追いかけてくる。
ホストクラブで聞いた、忘れられない人の本音
店には、忘れられない誰かを抱えたお客さんが、毎晩のように来てた。ホストの中にも、何人もいた。
向こうも、私のこと思い出したりするのかな
「向こうも、私のこと思い出したりするのかな」
三年前に別れた彼の話を、来るたびに少しずつしてくれた子。グラスの水滴を、指でなぞりながら。
(思い出してると思うよ。たぶん、何回も)
そう言いかけて、やめた。言ったら、その子はまた一年、待ってしまう気がしたから。
代わりに、思い出してたとしても、それをどうするかは向こうの問題だよ、と言った。彼女は少し泣いて、それから、わかってる、と笑った。
半年後、その子は職場の人と付き合い始めたと報告してくれた。元彼の話は、それきり出なくなった。
連絡したら、思い出じゃなくなるだろ
冒頭のイルカの先輩に、聞いたことがある。そんなに忘れられないなら、連絡すればいいのに。
「連絡したら、思い出じゃなくなるだろ」
はぁ…その一言で、男の忘れられないの正体が、少しわかった気がした。
(ずるいけど、わかる…)
男は、忘れられない人を、きれいなまま引き出しにしまっておきたい。会って、今の相手を見て、思い出が上書きされるのが怖い。だから、覚えてるのに、動かない。
会ってみたら、思い出のほうがよかった
反対に、本当に再会した子もいた。七年ぶりに、元彼から連絡が来たらしい。
「会ってみたら、思い出のほうがよかった。あんなに忘れられなかったのに」
記憶の中の人は、別れた日のまま止まってる。でも、本物は七年分、きっちり歳をとってる。
思い出の中の人に勝てる現実なんて、そうそうない。それがわかっただけでも、会った意味はあったって。
その子は、なんかすっきりした顔をしてた。会ったことで、やっと最終回が見られたんだと思う。
僕にも、忘れられない人がいる
駅のホームで終わった恋
ホストになる前の冬。三年付き合った人に、駅のホームでふられた。最後の言葉は、もう無理かも。
それから何年も、彼女は僕の中で、別れた日の顔のままだった。ホストになって、どれだけ女の子と話しても、あの人の笑い方だけは上書きされなかった。似た髪型のお客さんが来るたびに、一瞬だけ呼吸が止まった。
相手も同じかな、と考えた夜は、数えきれない。答えなんて、出るわけないのに。
向こうも覚えてた。それで十分だった
店を辞めて何年かたった頃、共通の友達と飲んだ。帰り際、友達が言いにくそうに教えてくれた。
「あいつ、この前、お前元気かなって言ってたよ」
(覚えてたのか…)
まさか、何年もたってから、その一言が届くとは。彼女は結婚して、子どももいるらしい。
不思議と、会いたいとは思わなかった。向こうも覚えてた。あの人の引き出しの中に、ちゃんと僕もいた。それがわかっただけで、胸の奥のどこかが、静かにほどけた(泣)
あの人が覚えててくれたのは、きっと、僕そのものより、あの頃の二人のこと。それでいいと、素直に思えた。
忘れられない人を、無理に忘れなくていい
最後に、今夜も忘れられない誰かのことを考えてる人へ。
答えを、相手に預けない
相手も同じかどうか。その答えを相手から待ってると、自分の気持ちの行き先まで、相手に預けることになる。
相手が同じでも、違っても、自分がどうしたいかは、自分で決めていい。連絡したいなら、昼間に、短く送る。返事がなければ、そこで区切る。相手に新しい家族がいるなら、送らない、が答えのことも多い。
返事が来ても来なくても、送った自分をほめていい。少なくとも、その夜は、自分で決めた夜になる。
答えを相手に預けない。それだけで、待つだけの夜は、ずいぶん減る。
思い出は、引き出しにしまえばいい
忘れられない人を、無理に忘れる必要はない。忘れようとするほど、その人のことを考える時間は増えるから。
男が昔の女を引き出しにしまうみたいに、こっちもしまっておけばいい。消さなくていい。毎日開けなければいい。
ときどき開けて、懐かしんで、また閉める。それができるようになったら、もう十分前に進んでる。
目安は、思い出しても、その日一日が崩れなくなったかどうか。懐かしいね、で閉められたら、もう大丈夫。

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