付き合って三ヶ月の恋人が、隣で寝息を立てていた夜。私は暗い部屋で、彼女のインスタを親指でさかのぼっていた。一年前、三年前、五年前。画面の光だけが、天井を青く照らしてる。
五年前の夏祭りの写真で、親指が止まった。浴衣の彼女が、知らない男の肩に頭をあずけて笑ってる。心臓が、ドクンと一回だけ大きく鳴った。
(誰だよ、こいつ)
寝顔と画面を、何度も見比べる。結局、朝まで一睡もできなかった。
彼女の過去の男性経験が気になるのは、頭の中で映画が流れるから
見たこともない場面ほど、鮮明に再生される
不思議なもので、嫉妬するのは実際に見た場面じゃない。見てもいない場面のほうなのさ。彼女と元彼がどこで出会って、どんな夜を過ごしたのか。頭の中の映画館では、勝手に上映が始まる。
しかもこの映画、キャストがやたら豪華ときてる。元彼役は、背が高くて、話がうまくて、たぶんベッドでも完璧。実物を見たこともないのに、だ(笑)
あの夜の私も、写真の男を勝手に俳優に仕立ててた。冷静に考えれば、その男にも寝ぐせの朝はあった。既読無視で彼女を泣かせた日だって、きっとある。映写技師も、たったひとりの観客も、自分なんだよな。
本当に気になっているのは、彼女じゃなく自分の順位
もう一歩だけ、自分に素直になってみる。彼女の過去が気になるとき、男の頭にあるのは彼女のことだけじゃない。自分は何番目なのか。前の男より上なのか、下なのか。知りたいのは、自分の順位。
卓で聞いた言葉に、こんなのがある。
「比べてなんかないよ。比べてほしそうな顔してるのは、いつも男のほう」
言った子は、三杯目のハイボールを飲みながら笑ってた。苦笑いしか出なかった。比べてるのは、案外こっちの頭の中だけ。
ホストをやってると、順位の怖さは骨身にしみる。毎月の売上の順番が、名前つきで店の壁に貼り出されるからね。上にいる月は無敵、落ちた月は息が浅くなる。
恋愛にまでそれを持ち込むと、しんどいよ。彼女は誰かと競わせるために、あなたと付き合ってるわけじゃない。競技場に立ってるのは、最初から自分ひとりだけ。
経験人数の平均を調べても、眠れない理由
経験人数の平均を検索して、自分を落ち着かせようとする人もいる。気持ちはわかる。ただ、ああいう数字は調査ごとにばらつくし、そもそも全部が自己申告。恋人に聞かれた人数となると、なおさら当てにならない。人数を半分にして答える子も、普通にいるくらいだし。
平均より少なくても、映画は止まらない。多かったら多かったで、上映時間が延びるだけ。数字で心の穴は埋まらないって、最初に知っておいたほうが楽じゃんね。
恋人の過去への嫉妬には、海外だと呼び名まである。レトロアクティブ・ジェラシー、だったかな。名前がつくくらい、ありふれた悩みってこと。あなたひとりが変なんじゃない。
彼女の過去を聞くか、聞かないか。答えを知る前に決めておくこと
聞いたあとの自分を、先に想像してみる
聞くかどうか迷ってるなら、ひとつだけ試してほしい。答えを聞いた翌朝の自分を、具体的に思い浮かべること。人数を知って、元彼の名前を知って、その次に何をするのか。
楽になる自分が見えるなら、聞いてもいい。ただ、私の見てきた範囲だと、それで楽になった男はほとんどいなかった。知った数字は、頭の中の映画の新しい脚本になるだけ。細部がひとつ増えるたび、上映はむしろ鮮やかになる。
どうしても聞くなら、一回きりで細部は聞かない
それでも聞きたいなら、止めはしない。そのかわり、守ったほうがいい約束がいくつかある。
聞くのは一回きり。人数や付き合った期間くらいにとどめて、夜の中身までは踏み込まない。誰と比べてどうだったか、なんて質問は論外ね。
聞く前に、自分の過去を先に差し出すことも忘れずに。自分のポケットは閉じたまま相手のだけ裏返すのは、取り調べと同じ。最後にもうひとつ。聞いた話を、ケンカの武器にしない。
偶然知ってしまった夜の、切り出し方
インスタで見つけた。共通の友達が口を滑らせた。そんなふうに、聞く前に知ってしまうこともある。そのとき黙って探りを入れるのが、いちばんこじれる元になる。
見たなら、見たと言う。そのうえで、責める言葉じゃなく、自分の気持ちとして渡す。
「昔の写真を見て、勝手に落ち込んでる。こっちの問題だけど、一回だけ話してもいい?」
これくらい肩の力が抜けた言い方なら、彼女も身構えずに済む。逆に、彼女のほうから過去を話してくれたなら。それは、あなたを信用してるってサインだよ。深掘りはせずに、話してくれてありがとう、で止めておく。
人数を聞くより先に、二人で検査に行く
これは元ホストらしくない、まじめな話。過去の経験が気になる理由に、体のことへの不安が混ざってるなら。人数を聞くより、二人で性感染症の検査を受けるほうが、よっぽど話が早い。保健所だと、匿名で受けられる検査もある。
夜の世界にいた頃、私は定期的に検査に行ってた。結果が出るまでの数日は、毎回胃が縮んだ。数字は、何も証明してくれない。検査の結果は、今の二人をちゃんと守ってくれる。
過去を気にしない男が、夜の街でいちばん売れていた
過去は気にしないよ、が最強の口説き文句だった
ホストクラブには、過去を責められ続けてきた女の子がたくさん来る。元彼の数を咎められた子。昔の仕事を理由に、彼氏の家族から距離を置かれた子。
そういう子に、私たちは笑ってこう言う。
「昔のことなんか、どうでもいいよ。今ここにいる君が好き」
この一言で、泣き出す子もいた。裏を返せば、それだけ大勢の女性が、過去を気にしない男に飢えてるってこと。お金を払ってでも聞きたい一言だった。
正直言うと、私自身は言いながら信じてなかった。売上のための台詞だったから。店でこの台詞を何年も言い続けた男。そいつが辞めたあと、恋人のインスタを七年分さかのぼる。皮肉にもほどがあるわ。でも普通の彼氏なら、この言葉をタダで、しかも本気で言える。これって、かなり強いカードじゃない?
経験人数を、半分にして伝えた子
ある夜、常連の子がグラスの氷を指でつつきながら言った。
「彼氏に経験人数聞かれたから、半分にして言っといた」
理由を聞くと、迷いのない答えが返ってきた。
「本当の数を言ったら、あの人の顔が曇るのわかってるもん。それ見たくないし」
嘘をついた罪悪感より、彼を守った感覚のほうが強かったらしい。なんか、聞いてる私のほうが恥ずかしくなった。
男の側からすると、ちょっとショックな話かもしれない。でも、聞かれた側はいつだって、相手の顔色を見ながら数字を選んでる。人数を聞くって行為は、彼女に嘘の選択肢を手渡すことでもあるのさ。
聞かれて困ってる女の子へ。言いたくない、も立派な答えだよ。
一回話した元彼の話を、毎晩蒸し返された子
別の子は、もっと疲れた顔をしてた。
「元彼の話、一回しただけなんだよ。そしたら毎晩その話になるの」
何回目のデートで、どこで、どっちから。同じ質問を何度も繰り返されて、最後は答えるたびに責められる気分になったって。
「わたし、今の彼氏と付き合ってるんだけどね」
語尾は笑ってたのに、グラスを持つ指が白くなってた。そのあと、彼女は彼氏と別れたと聞いた。過去の男に負けたんじゃない。過去を掘り返し続けた今の男が、自分で掘った穴に落ちたんだ。
もうひとり、静かにこう言った子もいる。
「全部話したら、汚いものを見る目で見られた。あの目は、たぶん一生忘れない」
数字を聞いた瞬間の一秒の表情は、どんな言葉より長く残る。
私が恋人の過去に振り回された夜と、過去の男になった日
七年分のインスタの先にいた、知らない男
冒頭の夜の続きを書いておく。翌朝、私は何でもないふりをして、写真のことを聞いた。
「この浴衣のとき、隣にいたの誰?」
声が裏返らないように、コーヒーを一口飲んでから。
彼女は少し考えて、隠すそぶりもなく答えた。大学のときの彼氏で、一年くらいで別れた人。その平然とした感じに、なぜか腹が立った。それで終わればよかったのに、私の口は止まらない。
どこで知り合ったのか。別れた理由は何だったのか。今も連絡を取ってるかどうか、まで。質問を重ねるたび、彼女のスプーンが止まる時間が長くなっていく。
四つ目の質問を飲み込みかけたとき、彼女が先に口を開いた。
「それ聞いて、どうしたいの?」
答えられなかった。顔がカーッと熱くなって、トーストの耳ばかり見てた。
(どうしたいんだ、私は)
あの時の私は、売上の順番を追いかけてた頃と、何も変わってなかったわけで。はぁ…書いてて耳が痛い。
ちなみに、七年分見たなかでいちばん写りがよかった一枚。彼女がひとりで撮った、味噌ラーメンだった。いや、そこかよ!
その人とは、二年ほどして別れた。過去の話が原因じゃない、と思いたい。本当のところは、今もよくわからない。
過去の男の席は、思っているより狭い
この話には、もうひとつ続きがある。
ホストを辞めて何年かたった頃、駅の改札で突然名前を呼ばれた。振り返ると、昔よく指名してくれた子が立ってた。その手には、ベビーカー。
「久しぶり!元気?」
笑顔は昔のままだった。立ち話の途中、彼女が首をかしげる。
「あのお店、なんて名前だったっけ」
私も、彼女がいつも頼んでたお酒を思い出せなかった。まさか、ってくらい、お互いの記憶は薄くなってたのさ。昔の恋人と再会したときも、似たようなものだった。向こうは私の誕生日を、きれいに忘れてたし。
帰りの電車で、意外と笑えてきた。ほんの少しだけ、泣きそうにもなった。
思えば私も、誰かの昔話のちょい役だ。過去の男の席なんて、この程度の広さしかない。現役の彼氏が、夜中に震えながら想像してる元彼の存在感。あれの十分の一もないんだよ、本物は。
気にしていい過去と、手放していい過去
引っかかっていいのは、過去じゃなく今の行動
全部の過去を黙って飲み込め、という話でもない。気にしていいことも、もちろんある。ただしそれは、過去そのものじゃない。過去が、今に手を伸ばしてくるとき。
元彼と、あなたに隠れて連絡を取り合ってる。二人でいるときに、昔の男の名前を出して比べてきたり。聞いてもいないのに、わざわざ傷つける言い方で昔の話をする。
こういうのは過去じゃなくて、現在進行形の問題だよ。話し合っていいし、離れる理由にもなる。
切り出すときは、昔の話と混ぜないこと。今週こういうことがあって、それがつらかった。その一件だけをテーブルに置く。
彼女の今の優しさは、昔の恋で取った出汁
一方で、手放していい過去もある。というか、ほとんどの過去はそっち側。
付き合ってみて、彼女の気づかいに助けられた場面があるなら。ケンカの終わらせ方が上手だったり、言い方に棘がなかったり。それ、たいてい過去の恋で覚えたものなんだよね。失敗して、泣いて、仲直りのやり方を一個ずつ身につけてきた。
今の彼女の優しさは、昔の恋で取った出汁みたいなもの。スープを褒めながら出汁の昆布に嫉妬するの、ちょっとおかしくない?
自分の過去を、同じ物差しに乗せてみる
ホスト時代、男友達の飲み会でよく見た光景がある。自分の経験人数は笑い話にして盛るくせに、彼女の過去になると急に眉をひそめる男。自分の過去は勲章で、彼女の過去は傷。その物差し、曲がってるんだが?
自分の昔の恋を思い出してみると、案外わかる。あの頃の相手を、今さら誰かと競わせたいとは思わないでしょ。彼女にとっての元彼も、そういう場所に置かれてる。
受け入れられないなら、責めずに離れる
それでも、飲み込めない人はいる。相手の経験の多さが、自分にはとても受け止めきれない、とか。それはそれで、ひとつの嘘のない気持ちだよ。
やっちゃいけないのは、付き合ったまま彼女を罰し続けること。過去を小出しに責めるのが、いちばん残酷なやり方なのさ。
無理なら、自分の価値観の問題として伝えて、離れる。彼女の過去に泥を塗って去るのとは、まったく違うから。
頭の中の上映を止めて、隣にいる人を見る
また始まった、と心の中で名前をつける
元彼の映画が勝手に始まったら、無理に消そうとしなくていい。消そうとするほど、映像は濃くなるから。
私がやってたのは、心の中で一言つぶやくこと。
「あ、また上映が始まったな」
それだけで、映画の中にいた自分が、客席まで戻ってこれる。次に、今いる場所の手触りを確かめる。コーヒーの温度、窓の外の車の音、隣で丸くなってる彼女の背中。過去の場面には、匂いも温度もない。今の場面には、全部ある。その差に気づけたら、上映はだいたい途中で打ち切りになるよ。
それから、古い映画を観なくて済むいちばんの近道は、二人で新作を撮ること。行ったことのない町、初めての店、くだらない失敗。記憶のフィルムが今の二人で埋まっていくほど、昔の作品はかからなくなる。
探偵ごっこは、今日で終わりにする
元彼の名前を検索する。共通の友達に、それとなく昔のことを聞いてみたり。彼女の古い写真を、夜中に拡大して眺める。どれも、私は一通りやった(泣)
調べるたびに一瞬だけ安心して、すぐに次の疑問が湧いてくる。答え合わせのつもりが、問題集を一冊ずつ増やしてただけ。
だから、探偵ごっこは今日でおしまい。検索履歴を消して、アプリを閉じる。指が勝手に動きそうな夜は、スマホを別の部屋に置いて寝ちゃえばいい。
抱えきれない夜は、ひとりで観なくていい
それでも映画が止まらなくて、仕事や眠りにまで響いてくるなら。誰かに話していい。口の堅い友達でも、カウンセラーでも。
話せる相手がいない夜は、上映中の映画のあらすじを紙に書いてみるのもあり。書いてみると、驚くほど安っぽい脚本だったりする。登場人物の台詞も、どこかで聞いたようなものばかり。
頭から離れない考えに振り回されるのは、性格の弱さとは限らない。専門家に話してみて肩の荷が下りた男を、私は何人か知ってる。同じ映画を、何百回もひとりで観る必要はない。誰かと客席を出たほうが、外の空気はうまいから。
前にも来た店、と言われた昨日の話
昨日の夜、今の恋人と焼き鳥屋に入った。カウンターに座るなり、彼女が言う。
「ここ、前に一回来たことあるんだよね」
(誰と来たんだろ…)
胸の奥がチクッとしたのは、まぁ、認める。でも、誰と、とは聞かなかった。
「そうなんだ。じゃあ、おすすめ教えて」
彼女はメニューを指さして、つくねとレバーを頼んだ。つくねは、たしかにうまかった。

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