「この氷、溶ける前に何か言いたそうだね」
初めて店に来た女の子が、グラスを傾けながらそう言った。新人だった僕は、練習どおりの笑顔で、なにそれ可愛いと返したんだよね。彼女も笑ってくれた。なのにその笑顔の奥で、シャッターの下りる音がした。
帰りの見送りに指名されたのは、隣の卓にいた別のホスト。エレベーターの前で、彼女はそのホストに氷の話の続きをしてた。まさか、氷のせいで負けるとは!
半年後、彼女が友達の付き添いでまた来た。あの夜の僕は何がダメだったのか、思いきって聞いてみたら、返事はこれ。
「氷、見なかったでしょ」
ポカンとした。(見てない…たしかに一回も見てない…)
可愛いって言葉は、氷から目を離したままでも言えちゃう。彼女が待ってたのは感想じゃなくて、同じ氷を一緒に覗きこむ人だった。
不思議ちゃんの変な一言には線路がある
急行電車が途中の駅を飛ばしてるだけ
不思議ちゃんの発言は、脈絡がないように見える。でも本人の頭の中では、ちゃんとつながってるんだよなぁ。急行電車に近い。各駅停車で暮らしてる側には、通過した駅が見えてないだけ。
相談をくれた28歳の会社員の話が、いちばんわかりやすい。相手はサークルで出会った21歳の子。カフェで急に、この壁の色って昔の映画館みたい、と言い出したらしい。メニューを開けば、これ食べたら夢に出てきそう、と真顔で呟く。
彼はそこで笑わなかった。
「それ、どんな映画館?」
聞いた瞬間、彼女の顔に灯りがついたんだって。出てきたのは、誰にも話したことのない昔の夢の話。壁の色は、その夢の入口だった。3か月後に告白したら、ずっと気になってたって。
突拍子もない発言は、終点の駅名だけを口にしてる状態に近い。どの駅を通ってきたのかを聞けば、一緒に乗れる。笑って流せば、電車はそのまま行っちゃう。あの夜の氷みたいに。
変わってるねは褒め言葉の顔をした仕分け
店で聞いた本音で、今も棘みたいに抜けないのがある。不思議系の常連の子が、シャンパンの泡を眺めながら言ったんだよ。
「変わってるねって言われると、そこで会話が終わるんだよね」
言った側は褒めたつもり。でも彼女たちの耳には、箱に分けられる音として届く。変わってる子の箱。一度そこに入れられたら、もう中身は見てもらえない。
別の子は、もっと短かった。
「わかってくれなくていいの。面白がってくれれば」
正直言うと、これで救われた気がした。理解しなくていいんだ、って。わかろうと頑張るほど、相手は説明する側に回らされる。説明って、地味に体力を削るから。不思議ちゃんがほしいのは通訳じゃなくて、隣で一緒に首をかしげてくれる人なのかも。
落とし方は返し方でほぼ決まる
わからないけど面白い、をそのまま渡す
バイト先の後輩に惹かれてた、24歳の大学院生がいる。その子は仕事中も独り言が多くて、ある日レジの前で真顔になった。
「このレジの音、雨の日だけ違う気がする」
彼は笑いながら、雨の日の音を聞いてみたいと言った。わかるふりはしてない。否定もしてない。わからないまま面白がって、半歩だけ寄っただけ。
不思議ちゃんへの返事は、これで足りる。理解なんて、あとから勝手についてくるし。この大学院生のことは、ここから先レジの音の彼と呼ばせてもらう。
なんで?を飲みこんで、どういうこと?を置く
似てるようで、まるで別物の質問が二つある。なんで?は、理由の提出を求める質問。どういうこと?は、景色を見せてほしいと頼む質問。景色ならいくらでも見せてくれるのが不思議ちゃん。理由を出せと迫られた途端、口が重くなる。そもそも理由なんて、本人だって持ってない日がある。
授業で隣になった子のノートに、変な絵を見つけた26歳の学生がいた。これ何?と聞いたら、なんとなく浮かんだ、とだけ返ってきたそう。彼はそこで掘らなかった。いい絵だね、とだけ置いて終わり。掘ってたら逃げられてた気がする、と本人も話してた。こっちは、ノートの絵の彼と呼ぶことにする。
沈黙は電車が走ってる最中
新人の頃の僕は、卓の沈黙が怖くてしょうがなかった。黙った瞬間、黒服の視線が背中に刺さる気がして。シャンデリアを見上げたまま、動かない子がいた。焦った僕は、数十秒おきに話しかけてた。なに見てるの、それ好きなの、と矢継ぎ早に。
あとで同期づてに届いた、その子の感想がこれ。考えごとの途中で、全部話しかけてくる人。はぁ…あの時の僕、恥ずかしすぎ。
それからは、黙られたら頭の中で十まで数えることにした。数え終わる前に、向こうが口を開くことが意外と多い。ある夜、別の卓で黙ってた子が、七のあたりで小さく言った。
「シャンデリアって、落ちる練習してるみたい」
そこから1時間、照明の話だけで盛り上がった(笑)。話が始まったら、途中で自分の話を挟まないこと。似た経験あるよ、程度の相づちでも、彼女の電車は途中駅で止まっちゃう。
LINEとデートは彼女の時計に合わせる
返信の間隔は彼女の呼吸
ホスト時代、閉店後に写真だけ送ってくる子がいた。文字はなし。雨上がりの水たまりが一枚、それだけ。
最初の僕は、どうしたの?とスタンプ付きで返して、3日放置された。2回目は夜の自販機の写真。今度は、この自販機、夜勤明けみたいな顔してるね、と打ってみた。2分後、スマホがブルッと震えて長文が届く。思わずガッツポーズ(笑)。
写真の意味を聞くんじゃなく、同じ写真を見て一言だけ足す。求められてたのは、それだけだった。なんか、夜中の自販機って今でもちょっと健気に見えるんだよね。まぁ、どうでもいい話。
返信の遅さと気持ちの薄さも、イコールじゃない。店の子にも、返事が遅いのはちゃんと返したいからだよ、と言われたことがある。アプリで知り合った25歳の子と付き合ってる、32歳の自営業もいる。連絡は今も、週に2、3回くらい。毎日の連絡を求めるのをやめたら、彼女から届く回数がむしろ増えたんだとか。
行き先を決めないデートのほうが深く潜れる
彼の、付き合う前のデートがちょっと面白い。ある日の彼女は、空気が柔らかいから公園で座ってるだけでいい、と言ったらしい。で、本当に2時間座ってた。次はどこ行きたい?と聞くと、まだわからない。彼はそこで質問をやめた。
翌日、彼女からLINEが来る。昨日の場所にまた行きたい、同じ時間に、と。急かされないことが、彼女には何よりの安心材料だったわけ。
決めるのは、待ち合わせの駅と時間くらいでいい。行き先は、歩きながら彼女の目線が止まった場所。レジの音の彼は、駅前の古本屋に誘った。彼女が一冊選ぶのにかかった時間は、30分。何を考えてるのかは聞かず、彼は近くの棚を眺めて待ってた。店を出た彼女が、表紙の色が好きだったとつぶやく。いいね、その色。そう返したら、初めて笑顔を見せてくれたって。
誘い文句も、軽いほうがいい。ノートの絵の彼が口にしたのは、図書館で勉強するけど一緒にいる?だけ。彼女は何も言わずについてきたそう。
不思議ちゃんの脈ありサインは言葉の外に出る
覚えてたの?は扉が開く音
レジの音の彼の話を、少しだけ巻き戻す。雨の音に乗っかった、その次のシフト。彼女のほうから寄ってきて、こう聞かれたんだって。
「昨日言ってたこと、覚えてたの?」
不思議ちゃんは、自分の言葉が流されることに慣れてる。だから覚えてもらえてた事実に、本気で驚く。驚いたあとは、向こうから距離を詰めてくる。休憩中に言葉を交わし始めたのも、ここから。
合宿の夜、突然星の名前の話を振られた27歳のエンジニアもそう。全部覚えるのって大変じゃない?と聞かれて、大変だけど面白いと思う、とだけ答えた。翌朝、彼女は彼の隣の席に来て、こう続けたらしい。
「あなたは星を覚えないで、どうやって夜を過ごしてるの?」
一晩寝かせた質問を、ちゃんと抱えて戻ってくる。この返し、好きすぎる!
好きの代わりに曲や石が届く
31歳のデザイナーの恋人は、友人に紹介された22歳の子。好きという言葉を、ほとんど口にしないタイプ。届くのは、この曲を聴いてたら顔が浮かんだ、というメッセージ。ある日は、あなたっぽいと思って買ってきた、と石を渡された。
石(笑)。
彼は理由を聞かず、ありがとう、いい石だね、とだけ伝えた。それを続けるうちに、自分のことを話す時間が、彼女の側で少しずつ長くなった。彼いわく、渡されたものがもう気持ちそのもの。理由を聞きすぎると、彼女は黙ってしまう。付き合って半年の今、あなたといると考えをそのまま言える、と言われてるとか。
(いいなぁ…これ聞いたとき、ちょっと泣きそうになった)
不思議ちゃんにとって、物を渡すのは告白の下書きみたいなもの。
隣を選ぶ回数を数えてみる
ノートの絵の彼にも、続きがある。次の授業でも、彼は同じように隣に座った。3回目、今度は彼女が先に口を開いた。
「今日も隣?」
うん、と答えると、彼女は少し笑ったそう。
言葉で好意を出さない子ほど、座る場所や立つ位置でしゃべってくる。席は他にも空いてるのに、わざわざそこに来る。星の彼女が翌朝選んだのも、隣の席だった。これが2回、3回と重なったら、答えはほとんど出かかってる。
不思議ちゃんが静かに離れていくNG行動
普通にしてほしい、は直しの宣告
29歳の営業マンの話は、正直ちょっと耳が痛い。26歳の彼女との交際は3か月。最初は予測できない発言が楽しかったのに、だんだん注文が増えていった。もう少し普通に返事して。急に話題を変えないで。
彼女は、短く聞き返したらしい。
「普通って何?」
彼は答えられなかった。連絡が減って、最後はなんか方向が違う気がする、とやわらかく別れを告げられた。好きになったのは、普通じゃないところだったのに。それを直そうとしたのがまずかった、と本人は振り返ってる。
店でも、近い本音を耳にした。
「直されそうになると、心の中で荷造り始めるんだよね」
ギクッとした。僕も昔、ある常連の子に、たまには普通の話もしようよと言った前科がある。あの子が翌月から来なくなった理由、今ならわかるわ(泣)。
今何してる?の連投は監視カメラ
35歳の公務員の男は、前の恋人とのことを今も思い出すそう。彼女は束縛が苦手で、自分の時間を手放さない子だった。返信が遅いと不安になって、今何してる?を何度も送ってしまう。返事はどんどん短くなって、最後に言われたのがこれ。
「なんか、監視されてるみたいで疲れる」
あとでわかったのは、連絡がないのは大丈夫のサインだったってこと。次の恋人には、最初に伝えたらしい。返事は好きなタイミングでいいよ、と。すると今度は、今日はこれしてた、という報告が向こうから届くようになった。
不思議ちゃんの気持ちは、握ると逃げて、開いた手のひらには止まりにくる。小鳥みたいな動き方をするんだよ。
告白は出口で短く
古本屋の外と図書館の出口
レジの音の彼は、古本屋の外で告白した。そこで彼女に聞かれたのは、なんで私のこと変だと思わないの、という質問。変だと思ったことない、ただ面白いと思ってる。そう答えたら、彼女は頷いてOKしたんだって。
ノートの絵の彼は、図書館の出口だった。一緒にいると落ち着く。それだけ伝えたら、私も、と短い返事。
二人とも、長い前置きはしてない。しかも選んでるのは、場所の終わり際。
ホスト時代を振り返っても、本音がいちばんこぼれるのはエレベーターの前だった。見送りの数十秒は、あとは帰るだけの時間なんだよね。その場に残らなくていいから、言葉が軽くなる。氷の子が別のホストに続きを話してたのも、思えばあの扉の前。向かい合って逃げ場のない席より、出口のほうが返事をしやすい。
落とすより隣に座る
不思議ちゃんの落とし方って、検索窓に打つと攻略本のタイトルみたい。うまくいった男たちは、誰ひとり彼女を動かそうとしてない。彼女が見てるものを、横から一緒に見てただけ。
あの氷は、結局何を言いたかったんだろう。今なら隣で、一緒に耳を澄ませられる気がする。

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