婚約中の男が、酔った勢いで俺にこぼしたことがある。彼女が誰とも付き合ったことがないと知って、最初は舞い上がったらしい。それが三ヶ月経った頃から、逆に怖くなってきたと。
「この先、他の男を知りたくなったらどうすんだろって」
グラスの氷がカランと鳴った。俺、なんて返したか覚えてないわ。たぶん適当なことを言った。
欲しかったはずのものを手に入れた途端に不安になる。
こだわりの下にあるのは、比較されたくないという一点
処女と結婚したい。この言葉を口に出す男が本当に欲しがってるのは、経験の有無そのものじゃない。
自分が誰とも比べられない場所に立ちたいだけでしょ。
過去の男は、実在しなくても頭の中に住む
厄介なのは、比較なんて実際にはほとんど起きてないってこと。
彼女は元カレのことなんか思い出してない。なのに、こっちの頭の中には勝手に住み着く。顔も名前も知らない男が、寝室に一人増えてる感覚。あれはきつい。
だから初めての相手になれば、そいつを追い出せると考える。理屈としては筋が通ってるように見える。
ただ、実際に初めての相手になった男が安心してるかというと、全然そんなことないんだよなぁ。
手に入れた瞬間に、不安の矛先が未来へ移る
冒頭の彼がまさにそれ。
過去の男がいないぶん、未来の男を想像しはじめる。彼女が何も知らないなら、いつか知りたくなるんじゃないか。他と比べられない立場は、いつまでも比べられる可能性を抱えてるのと同じ。
つまり、不安の置き場所が過去から未来にスライドしただけ。処女信仰で解決すると思ってた問題は、形を変えて残る。ここに気づかない男が、結婚後に別の形で苦しむ。
この言葉、二方向から来ている
相手に求めている側の焦り
一つは、そういう相手と結婚したいと本気で思ってる人。
年齢が上がるほど現実的に難しくなるのはわかってて、それでも諦めきれない。実際、婚活の場でこの条件を出すと選択肢がごっそり減る。
自分がそうである側の不安
もう一方が、当事者の女性。
三十を越えて経験がないことを、隠すべきことのように感じてる。結婚のときに引かれるんじゃないか、笑われるんじゃないか。
で、はっきり言っておくけど、そこを減点にする男は少数派。多数派は単に、気にしてない。むしろ経験の話を持ち出す男のほうが、内心びくびくしてる場合が多いから。
店で女の子たちが漏らしていた、経験の話
夜の店では、この手の話題が真夜中を過ぎると急に出てくる。酒が回った女性は、なぜか経験人数の話をしたがるのよ。
彼氏に聞かれた夜の、あの気持ち
二十代後半の常連さんが、真顔で言ったのを覚えてる。
「聞かれた瞬間、あ、この人とは無理だなって思った。答えは何でもよかったんだと思うよ。聞いたって事実がもう答えだった」
聞いた瞬間、こっちがヒヤッとした。だって俺も昔、同じことを聞いた側だったから。
彼女いわく、数を聞く男は、返ってきた数字で相手を採点する準備をしてる。少なくても多くても、その数字を前提に態度が変わる。その変化を、女は絶対に見逃さない。
隠した子と、正直に言った子の分かれ道
別の子はこう言ってた。
「多めに盛って言ったの。少ないって言ったら重いって思われそうで」
これ、逆パターンね。経験が少ないことを恥じて、話を作った。そのあと二年付き合って、結局は言えないまま別れたらしい。
嘘そのものより、嘘を抱えたまま暮らす二年のほうがしんどかったと言ってた。ぽつりとそう言ったあと、彼女、しばらく黙ってた。
多いも少ないも関係ない。本当のことを言えない関係だったことだけが、その子の中に残ってた。
俺の周りで結婚した、対照的な二組
営業しながら、客の結婚をわりと近くで見てきた。同じ時期に決まった二組が、驚くほど違う結末になった。
初めての相手になった男が、半年後に言ったこと
一組目は、冒頭の彼。
無事に式を挙げて、しばらくして久々に会ったとき、彼はこう言った。
「あいつのこと信じてるよ。ただ、俺が一人目ってだけで、俺は一番じゃないかもしれないじゃん」
正直、うわぁと思った。半年経っても、まだそこにいるのかと。
彼が求めてたのは処女の妻じゃなくて、自分が唯一だという保証だった。そんな保証は誰にも出せない。だから何をどう手に入れても、彼の中の穴は埋まらない。
過去を全部知ってから結婚したほうの夫婦
二組目は、うちの店に通ってた女性のほう。
彼女、かなり派手に遊んでた時期があった子で、しかも結婚相手にそれを全部話したらしい。俺は正直、それは言わなくていいだろと思ってた。
でも彼、こう返したんだって。
「今、俺のとこにいるのがいちばん不思議で嬉しい」
彼女、その話を店でしながら泣きそうになってた。あれは酒のせいじゃなかったな。
この夫婦、いま子どもが二人いる。何年も揉めた話を聞かない。過去を消すことじゃなくて、過去ごと引き受けることを選んだ側が、結果的に静かに続いてる。
結婚後に効いてくるのは、経験の有無ではないところ
長く続いてる夫婦を見てきて思うのは、性の話ができるかどうか。ここに全部集約される。
初めてが誰かより、その後に話せるかどうか
経験がない人同士だろうが、片方だけだろうが、始まった後は同じ問題にぶつかる。合わない、痛い、頻度が違う、疲れてる。
こういう話を口に出せる二人は、時間をかけて調整していく。逆に、言えないまま我慢する二人は、静かに離れていく。
経験の数は、この能力と何の関係もない。経験豊富でも一言も言えない人はいるし、初めてでも率直に伝えられる人もいる。
経験の有無は、時間差で意味が変わる
結婚したての頃は、相手が初めてであることが特別に感じられる。それは本当だと思う。
でも三年、五年と経つと、その事実は日常の中に溶けて消える。代わりに前に出てくるのは、家事の分担とか、金の話とか、疲れて帰ってきた日の態度とか。
初夜の記憶で二十年は持たない。当たり前だけどね。
過去を聞くか聞かないかの、地味な分岐点
最後にこれ。聞くかどうか迷ってる人へ。
聞いたあとの自分を、先に想像できるか
数字を聞いて、想像より多かったとき。自分が平気でいられるか。
無理だと思うなら、聞かないほうがいい。聞いてから平気なふりをするのは、二人にとって一番よくない。
ぐるぐる考えて、それでも知りたいなら聞けばいい。ただし、返ってきた答えで態度を変えない覚悟がセットになる。
一度聞くと、聞き続けることになる
人数を聞いた男は、次に相手を聞く。次に時期を聞く。次にどこでを聞く。
止まらないんだよ、これが。安心が欲しくて始めた質問なのに、答えを聞くほど不安が増える。
俺の周りで、この道に入って引き返せた奴を見たことがない。じわじわ削られて、最後は自分から関係を壊す。
相手の過去を消したい気持ちの、行き先
処女と結婚したい。この願望自体を否定する気はない。誰にでも好みはあるし、譲れない部分があるのも自然でしょ。
ただ、その願望が何を解決してくれると思ってるのか。そこだけは一度、自分に確認したほうがいい。
不安を消したいのなら、相手の過去は関係ない。今日その人が隣で笑ってる理由を、まっすぐ受け取れるかどうか。それだけの話だと思うよ。

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