席に戻った僕の前に、コースターが一枚、すっと滑ってきた。
裏返すと、ボールペンの小さな字で、すねてます。
なにこれ、ずるい
ほかの卓に呼ばれて、二十分ほど席を外してた。そのあいだに書いたらしい。本人はそっぽを向いたまま、グラスの氷をマドラーでつついてる。ほっぺが、ほんの少しだけふくらんでた。
「ごめんって」
「…あと一曲、ここにいたら許す」
その一曲が終わるころには、彼女はもう笑ってた。コースターは、そのまま彼女のバッグにしまわれた。
拗ねる女の子は、店に毎晩いた。思わず謝りたくなる拗ね方もあれば、胃がずしっと重くなる拗ね方もある。差をつけてたのは、顔の良さでも、若さでもない。
かわいい拗ね方を調べたくなるのは、たぶん、拗ねて失敗した夜のあと。別に、って言っちゃった。既読のまま放っておいた。気づいてほしかっただけなのに、空気だけが悪くなった。
本当は、寂しかったって言いたいだけ。なのに、重いとか面倒くさいとか思われそうで、言葉の代わりに拗ねが出る。
何百回も拗ねられてきた元ホストの結論は、わりとシンプル。かわいい拗ね方は、拗ねの奥に好きが透けてて、出口がついてる。あのコースターみたいに。
かわいい拗ね方の特徴は、拗ねの奥に好きが透けてること
拗ねるって、怒るでもなく、泣くでもない。そのあいだにある、ちょっと不思議な気持ちの出し方。店で見てきたかわいい拗ね方には、共通点が三つあった。
拗ねるって、怒るより甘えるに近い
拗ねるの拗って字は、手へんに幼いと書く。成り立ちまでは知らないけど、見た目はそのまま、子どもの駄々。
怒るのは、相手を正したいとき。拗ねるのは、相手にこっちを向いてほしいとき。似てるようで、向いてる方向がまるで違う。
かわいい拗ね方は、この幼いの部分が、甘えとして出てる。もっとかまって、ちゃんと見て。責めてるんじゃなくて、欲しがってる。男がかわいいと感じるのは、その欲しがり方の奥に、自分への好きが透けて見えるから。
同じふくれっ面でも、奥にあるのが、あなたが悪い、なのか、私を見て、なのか。男は案外、そこを嗅ぎ分けてる。
何に拗ねてるのか、一言でわかる
かわいく拗ねる子は、理由がわかりやすい。ほかの子の話を三回した。待ち合わせに二十分遅れた。デート中、ずっとスマホを見てた。
理由がはっきりしてると、男は謝れる。謝れる拗ねは、かわいい拗ね。
反対に、本人にも理由がよくわかってない拗ねは、男を迷子にする。最近なんか冷たい、とか。前と違う、とか。ぼんやりした不満は、謝る場所が見つからない。
店でも、拗ねた理由がすぐわかる子の卓は、空気が早く戻った。わからない子の卓は、閉店まで気まずいまま。
かわいい拗ね方には、出口がついてる
かわいい拗ね方には、どこかに必ず出口がある。コースターの子なら、あと一曲。ふくれっ面の途中で、こらえきれずに笑っちゃう、でもいい。
出口のある拗ねは、男からすると遊びに近い。クリアの仕方が最初から書いてある、小さなゲーム。出口のない拗ねは、ヒントのない脱出ゲーム。壁をあちこち叩いて、手探りで出口を探すしかない。
拗ねるなら、出口の場所もセットで。それだけで、面倒くさいはかわいいにひっくり返る。
男がかわいいと感じる、拗ね方の仕草
拗ね方の仕草で、男が弱いものはだいたい決まってる。共通点は、小さくて、短くて、こっちとの距離を切らないこと。
口をとがらせるのは、三秒で十分
口をとがらせる。ほっぺを少しふくらませる。拗ね方の仕草としては、いちばんの定番。
これが効くのは、本気で怒ってる顔には見えないから。怒ってますってポーズを、わざと見せてる顔。本気じゃないのが伝わるから、男も安心して謝れる。
ただ、長さには気をつけたい。三秒くらいで、ふっと笑いがこぼれる。男が落ちるのは、ふくれっ面そのものより、それが崩れる瞬間のほう。三十分ふくれてたら、それはもう不機嫌。
ほっぺをふくらませたまま、ストローでウーロン茶を飲もうとして、盛大にむせた子がいた。卓の全員が笑って、その子の拗ねは十秒で終わった(笑)
じとっと見る目は、責めるより甘えてる
何も言わずに、じとっと見てくる目。いわゆる、じと目。
言葉がないぶん怖そうに思えるけど、正直、男からするとかなりかわいい部類。目がこっちを向いてるうちは、まだつながってるってわかるから。本当に怒ってる子は、目を合わせてくれない。スマホか、グラスの底を見てる。
身長差があるなら、下からじとっと見上げるだけで、たいていの男は白旗を上げる。
僕がよその卓のシャンパンコールに駆り出されてる間、ずっとこっちを見てた子がいた。マイクを持ったまま、ちらっと振り返る。見てる。もう一回振り返る。まだ見てる。
(めっちゃ見てる…)
コールどころじゃなかった。あの子の話は、あとでもう少しする。
そっぽは向いても、隣の席は立たない
顔はそっぽを向く。でも、体は離れない。かわいい拗ね方の仕草は、だいたいこの組み合わせ。
ソファで背中を向けてるのに、その背中がこっちにくっついてる。目は合わせないのに、指先で服の端をつまんでる。口では、知らない、って言いながら、帰ろうとはしない。
男はそこを見て、ほっとする。拗ねてはいるけど、離れたいわけじゃない。そうわかった瞬間、謝るハードルがぐっと下がる。
席を立つ。部屋を出ていく。先に帰る。ここまでいくと、同じ拗ねでも意味が変わる。追いかけないと終わらない話になっちゃうから。
かわいい拗ね方のセリフとLINE
拗ねてるときの一言は、選び方ひとつで、かわいいにも重いにも転ぶ。店で聞いて、思わず笑ったセリフがいくつかある。
拗ねてる、と自分で言っちゃう
「今、拗ねてるからね。ちゃんと拗ねてるからね」
二回言った子がいた。言われたこっちは、もう笑うしかない。
拗ねてることを、自分で実況する。これ、かわいい拗ね方の中でも最強クラス!何が起きてるのか、男は当てなくていい。本人が、拗ねてますって札を出してくれてるから。実況できるくらいの余裕がある、ってことも一緒に伝わる。
ラーメン屋の扉にかかる、準備中の札と同じ。閉まってはいるけど、また開くのはわかってる。
条件つきで許すと、拗ねが遊びに変わる
「コンビニのアイス、いちばん高いやつ買ってくれたら許す」
許す条件をつけた一言も、かなり強い。男は、問題を出されると解きたくなる生き物。どうすれば機嫌が直るのか、答えを先に渡されると、喜んで走る。
まぁ、アイス一個で仲直りできるなら、男からしたら安いもん。
条件は、小さくてかわいいものがいい。アイス、あと一曲、帰り道は手をつなぐ。高いバッグを条件にすると、それはもう拗ねじゃなくて取引。コースターの子の、あと一曲も、これ。許す道筋を、自分で用意してくれてた。
LINEの拗ねは、一行とスタンプひとつまで
LINEの拗ねは、顔が見えないぶん、会って拗ねるより何倍も重く届く。
店にいた頃、拗ねたLINEは毎晩のように届いた。開く前から胃が重くなるやつと、開いて思わずニヤけるやつ。差は、ほぼ文字数だった。
ニヤけたほうの代表は、ほかのお客さんの誕生日を店で祝う夜に届いた、この一行。
「今日は忙しいでしょ、がんばって。明日会ったら、ちょっとだけ拗ねるけど」
それと、ほっぺをふくらませた猫のスタンプがひとつ。次の日、僕はいつもより一時間早く店に着いてた。
重く届くのは、句点だらけの短文か、画面を埋めつくす長文。わかりました。了解です。おやすみなさい。丁寧なのに温度がゼロの敬語も、男にはかなり効く。悪い意味で。
LINEで拗ねるなら、一行とスタンプひとつまで。続きは、会って顔を見ながらのほうが、ずっとかわいく伝わる。
面倒くさいと思われる拗ね方
同じ拗ねでも、男が一歩引いちゃうパターンもある。本人はかわいく拗ねてるつもり、っていうのがいちばん切ない。
無言は、答えを教えてくれないクイズ
急に黙る。どうしたの、と聞いても、なんでもない。でも明らかに、なんでもなくない。
これをやられた男の頭の中は、答えを教えてもらえないクイズ番組。さっきの一言か、昨日の遅刻か、先週の何かか。片っ端から回答して、外すたびに空気が冷えていく。
察するのが仕事だったホストでも、無言の理由を当てられるのは、せいぜい三回に一回。普通の彼氏に、全問正解は無理がある。
察して、は、恋人に出すにはレベルが高すぎる問題。答えは先に、一行だけ見せてあげていい。
追いかけてくるか試す拗ねは、いつか置いていかれる
もういい、帰る。そう言って、本当に歩き出す。電話を途中で切る。わざと既読をつけない。
追いかけてくるか、試したくなる気持ちはわかる。追いかけてもらえたら、愛されてる実感が手に入るから。
店にも、帰る、と言ってエレベーターのボタンを押すお客さんがいた。ホストは追いかける。全力で。給料が出るから。
彼氏には、出ない。
最初の何回かは、彼も追いかける。けど、試されてると気づいた男は、少しずつ足が重くなる。ある日、追いかけてこなかった。それが、試した回数の答えだったりする。
人前で拗ねると、彼の逃げ場がなくなる
友達とのごはん、彼の実家、職場の飲み会。人前での拗ねは、二人きりのときの何倍も重い。
男は、人前で謝るのがとにかく苦手。プライドもあるし、どう謝っても見世物になるから。結局、笑ってごまかすか、黙り込むか。どっちを選んでも、帰り道はだいたい揉める。
人前で拗ねたくなったら、テーブルの下で、彼の靴をつま先でつつくくらいにしておく。あとで話そうね、の合図として。本番は、二人になってから。
ホストクラブで見た、拗ねる女性たちの本音
ホストクラブは、拗ねがいちばん起きやすい場所かもしれない。担当のホストが、ほかの卓に呼ばれていく。その背中を見送るのが、お客さんの日常だから。
遅い。罰として、あと十分ここにいて
シャンパンコールの間じゅう、じとっと見てた子の話の続き。
自分を指名してるお客さんが、同じ夜に二人以上いる。被り、と呼ばれる状態で、ホストは卓を行ったり来たりすることになる。その夜の僕は、完全に被ってた。
コールを終えて戻ると、彼女はグラスを両手で包んだまま、こう言った。
「遅い。罰として、あと十分ここにいて」
罰の中身が、そばにいて。そんな罰なら、何回でも受けたい!
閉店間際、彼女がぽつりと教えてくれた。
「拗ねるのってさ、戻ってきてくれるってわかってる人にしかできないじゃん」
なんか、あの一言で、拗ねの見え方が変わった。拗ねは、相手を信じてるからこそできる甘え方。戻ってこないと思ってる相手の前では、人は拗ねずに、黙って帰る。
別に、が三回続いた夜
同じ被りの夜、もう一人のお客さんは、まるで違った。
卓に戻るたびに、彼女の返事は短くなっていった。
「別に」
「別にいいよ、あっち行けば」
「別に怒ってないし」
三回目のそれを聞いたあと、彼女は会計を済ませて、ラストソングも待たずに帰っていった。
朝の四時、長いLINEが届いた。スクロールしてもしても終わらない文章の、いちばん最後に一行だけ。
「ほんとは、行かないでって言いたかっただけ」
最初から、その一行でよかったのに…
言えなかった理由も、たぶんわかる。行かないで、は重いと思われそうだから。でも、あの夜の僕には、三回の別にのほうが、ずっと重かった。
拗ね方がわからない、とこぼした子
反対に、一度も拗ねたことがないという子もいた。
「拗ね方がわからないの。いいよ、大丈夫、しか言ったことない」
わがままを言っちゃいけない家で育ったらしい。前の彼には、何考えてるかわからない、と言われてふられた。
拗ねないのは、大人っぽくて楽そうに見える。ただ、全部を大丈夫で包まれると、相手はどこまで踏み込んでいいのかわからなくなる。小さく拗ねるのは、ここがちょっと痛い、って場所を教えてあげること。わがままとは違う。
その子が初めて拗ねたのは、何ヶ月かたったあと。僕がほかの卓に長くいた夜、戻ると、グラスの横に、フルーツのピックが二本、バツの形に並べてあった。
拗ね方としては、ささやかすぎるくらい。それでも、ちゃんと届いた。ごめん、と言ったら、彼女は少し驚いた顔をして、それから笑った。拗ねても嫌われない、ってわかった顔だった。
元ホストの僕が、別にと言ってしまった日
拗ね方の講釈をたれてきたけど、僕自身の拗ね方は、かなり下手。
助手席で、ずっと窓の外を見てた
店を辞めて二年くらいたった頃。付き合ってた人の職場のバーベキューに、僕もついていった。
彼女は、同じ部署の先輩とやたら盛り上がってた。仕事の話で、僕にはわからない単語ばかり。肉を焼く係に回された僕は、トングを握ったまま、その笑い声を背中で聞いてた。おかげで、焼き加減だけはやたら上達した(笑)
帰りの車は、彼女の運転。僕は助手席で、ずっと窓の外を見てた。
「怒ってる?」
「別に」
言った瞬間、自分でギョッとした。
(今の、店でいちばん苦手だったやつじゃん…)
まさか、あれほど胃を重くしてた別にを、自分の口から出す日が来るとは。車の中は、エアコンの音だけになった。家に着くまでの三十分、元気なのはカーナビの声だけ(泣)
拗ねてた、と白状したら、ほっぺをつつかれた
僕のアパートの前で、車が止まった。僕はドアを開けず、彼女もハンドルを握ったまま、しばらく黙ってた。
「さっきの別に、ホストのときいちばん嫌いって言ってたやつだよね」
図星すぎて、笑うしかなかった。
「…ちょっと拗ねてた。先輩と楽しそうだったから」
口に出してみたら、拍子抜けするくらい簡単だった。彼女は吹き出して、僕のほっぺを人差し指でつついた。
「最初からそう言えばいいのに」
三十分の沈黙が、一行で片づいた。拗ねるのが下手な人間ほど、言えばすむ一行を、遠回りして運んでる。男も女も、たぶんそこは一緒。
あの日から、僕の中で、別には禁止ワード。今でもたまに、喉まで出かかるけど。
かわいく拗ねるための、小さな段取り
拗ねるのが上手な子は、生まれつき器用なわけじゃない。ちょっとした段取りを知ってる。
拗ねる前に、寂しかったことを一言にしておく
ムッとしたら、拗ねる前に一回だけ、自分に聞いてみる。今、何が寂しかったんだろう。
ほかの子を褒めたのが嫌だった。約束を後回しにされた気がした。話を最後まで聞いてもらえなかった。一言にできると、拗ね方は勝手にかわいくなる。理由のはっきりした拗ねなら、男も謝る場所を見つけやすいから。
一言にできないときは、まだ拗ねどきじゃない。疲れてるだけ、お腹がすいてるだけ、ってこともけっこうある。とりあえず何か食べてから考える。これ、マジで効く。
拗ねは、日付をまたがせない
かわいい拗ねにも、賞味期限がある。目安は、その日のうち。
一晩寝かせた拗ねは、次の日にはただの気まずさに変わってる。三日続いたら、それはもう罰。男は謝るのをやめて、台風が過ぎるのを待つ構えに入っちゃう。
寝る前に、まだちょっと拗ねてるけど、おやすみ、と送る。それだけで、拗ねは日付をまたがずにすむ。拗ねてるのは本当でも、今日はここまで、って自分で線を引ける。
拗ねられるのは、帰ってきてくれる人の前だけ
罰として十分の子の言葉を、今でもときどき思い出す。拗ねるのは、戻ってきてくれるってわかってる人にしかできない。
だから、拗ねたくなる相手がいるのは、悪いことじゃない。甘えていい場所がある、って証拠。拗ねる自分を責めなくていい。気をつけるのは、拗ね方だけ。
好きの気持ちを、ちょっとふくらませたほっぺに乗せる。出口は、自分で開けておく。それさえできれば、拗ねは面倒くさいじゃなく、かわいいのほうに転がっていくよ。

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